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2009年冬〜2010年春「万事窮す」

2012.07.15 15:25|不動産取得
あまり古い話ばかりしても仕方がないので、ここからサクサク進もうと思う。

結論としてこの件は11/30月に二度目の否決をされる。
最後まで望みは捨てていなかったのだが、玉砕だった(泣) 理由は「総合的判断」だそう。

そして父には「また直接電話をすると、要注意客として今後ローンを受け付けない可能性あり」旨の通告入り不動産屋さんのメールを転送し、現実を認識してもらう。(っていうか、直接父にそう言えばいいのに二枚舌使うなよ、銀行さん。)

不動産屋さんには、他の金融機関でもう一度やりますか?と言われたが、私はもう無理だと言った。
私も両親も相当疲弊していた。ここまでやって駄目なものは駄目。ここが潮時だ。

師走となり、するつもりのなかった賃貸の更新もしなければならず(大家さんに、ちょっと保留にしてください、と言ったら焦ってひどく慰留された。これも一要因かな…;;)、忙しすぎて年内「一時休戦」とした。

そう、この物件のインパクトは凄かったけど、これが駄目でも私はスペースワークをやめるつもりはなかった。
「物件変えてください」などと言われたし、とりあえず他もいろいろ見てみた。
不動産屋さんは沢山紹介してくださり、見ること自体は楽しかったけど、そこで仕事をしている自分が全く想像できないものばかりだった。
つくづく不動産ってご縁のものだ。「比較対象物件はない」と最初に感じた通りだと思った。

そこでガラッと方針転換して、こんどはワンルームを探すことにした。
「帰る家」を確保し、今のスペースを100%業務用に使う職住分離作戦、つまり最初に無理と思った「株分け」のほうである。
月々の支払いを減らしたかったのに増えることになるが、そのうち業務用をもう少し小さめに変えればいいと思った。

いまの家から徒歩10分強の、古いけど管理の良い大規模マンションの一室のワンルームをチェックしておいた。
ディテイルにいろいろ難はあれど、MBTを履いてウォーキングをしながら部屋を出て、仕事をして帰ってくる自分がイメージできる物件だった。
年が明けたらこの件でいこうかな?と思っていた矢先、、、

2010年1月4日、父が一過性脳梗塞で倒れる。
一過性なのですぐに正常に戻ったが、これはある種の「お知らせ」でもあった。私も父も天中殺に入る1ヶ月前の出来事。(私は立春前に速攻でカタをつけたかった。。)
本人が相当ショックを受け「もう力になれない」と言う。私もショックながら了解した。

「○○さん(私の苗字)はお父様との親子ローン以外に購入する方法はありません」
という不動産屋さんの言葉が耳に残っていた。そして、もう父は借金が本当に嫌なんだな…と理解する。
「万事窮す」、これが一度目。

でも一過性脳梗塞は本当にすぐに回復するので、立春過ぎた頃に父は「大丈夫だ」と言い始めた。
私の治療も毎週受けるようになり、回復はしていたが私には不安があった。(誰にも言わなかったがこういう予感こそ的中するものなのだ。。)

それでも例のワンルームについて不動産屋さんに聞くとまだ売れておらず、話をすると今度は両親ともにかなり乗り気。
あゆみ先生に伺うと「これはめぐみさんにとっては60点だけど、ご家族にとっては85点の物件。ご両親はどうしても都内に家が欲しかったのね。」
やっぱり…私のスペースだが既に家族ワーク化している。気分は複雑だが仕方がないと思った。

規模(借入額)は前回の四分の一となり、精神的負担が前回より激減するので両親が乗り気なのだ。
同じ金融機関に物件差し替えでいけば問題ないだろう。父の負担を最小にするにはそれしかないし、私自身は家賃+ローンで超キツくなるけど改善していけるだろう。これが最後のチャンスだと感じて進めることにした。

ところがこの物件、数ヶ月間申し込みがなかったのに、私の申込と価格交渉で下がった途端に殺到した。
更に今回も私が一番手だったのに、売り主が時間のかかる親子ローンを嫌い「早い順」だと言ってきた。
つまり応募者にローンの速さを競わせるわけだ。
そんなの失礼じゃない?!と思ったが、今回は父も不動産屋さんも「それは仕方ないだろう」と言い、そのまま進めることになってしまった。
嫌なことは嫌だとここできちんと言えなかったのは、私のプライドの低さの問題だ…>_<;

嫌な予感は当たる。物件差し替えで今度の審査は速いという希望的観測を完全に裏切り、この金融機関のチンタラ具合といったらなかった。(嫌がらせもあったかも。)
また1ヶ月もかかり更に違う書類をいくつも請求され、役所で何それ?と言われるようなレアなものまで発行させられる始末。

そして結果、売り主は4日ほど早く銀行ローンの通った二番手さんと契約してしまったのだ!
つまり今度はローンが通ったのに物件がなくなってしまった…+_+;;
今回だけは絶対に失敗したくなかったのに…最初に「一番手で交渉させてください」と言えなかった自分を本当に悔やんだ。
クリーニングを重ねてきたつもりだけど、まだまだ至らないところがあったのだ。2010年3月半ばのことだった。

その後も物件を紹介してもらったが、アクションを起こすに足るものはないまま、3月末の年度替わりを迎える。
これだけ煩わせながらも全く契約できない(つまり一銭も払わない)客である私に、不動産屋さんも相当イライラされたと思うが本当に親身にしていただいた。いいお店だった。感謝している。

私自身は方向性を見失った気分になり、頭を切り替えるために少し不動産から距離を置くことにしてひと月弱、
2010年4月28日、ゴールデンウィーク前日、父が脳溢血で倒れる。

今度は一過性脳梗塞ではない、救急車→救命救急治療室に入り最悪も覚悟しなければならない事態だった。
命は取り留めても半身麻痺、車椅子生活、24時間介護などの最悪の可能性ばかり提示された。
「万事窮す」、二度目、そして今度は本当だった。
ここで父との親子ローンワークは強制終了を迎えたのである。

やはりもう父は嫌だったのだろう。前年の足掛け5ヶ月の物件で疲弊させて本当に申し訳なかったと思うと同時に、結局は今回も借金を背負わせなくて良かったのだ、と私は感じた。
脳卒中は勿論具体的な原因はあるが、「自分が変わるくらいなら死んだ方がまし」というほどの抵抗のサインなのだ。(ルイーズ・ヘイ「ライフヒーリング」より)

その後父は4ヶ月入院する。回復もリハビリも順調で後遺障害も最少だったのは不幸中の幸いだった。
私はこの時点で不動産は完全にギブアップし、看病介護と母のケアに追われてすべては凍結状態となるが…
実は全然これで終わらなかったのである。。(まだまだ続く)


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