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2011年震災以降「混乱と混迷の果てに」

2012.07.26 23:23|不動産取得
ようやく時系列が今現在に近づいてきた…;;

思えば震災から1年と少し、世の中全体はずっと混迷と混乱にあるが、スペースワークがハートワークだとしたら、私はハートの中の瓦礫処理さえ終わっていない感じがする。

不動産購入とは、土地、つまり地球への責任をとることだと私は考えていた。
私は残りの人生を奥沢に根づいて、クリーニングとこの仕事を続けていきたいからアクションを起こしたのである。
でも250キロ先の福島で原発4基がメルトダウンという、人類未踏の最悪事態にあるこの東京奥沢の土地の責任を、一体私はとれるのだろうか?

次々に明らかになっていく隠されていた事実、マスコミや政府の報道などひとつもあてにならないということも学び、本当のことをシェアしている人の情報を自分で掴んでいくしかなかった。
そして、これまで意識のどこかで原発のことを知りながらも、何も手段を講じなかった自分を深く責めた。
(…恐らくだれもがそうだったのではないだろうか?)

実際に首都圏数千万人規模の避難という「最悪シナリオ」はなくなったわけではないだろう。
また次の地震や津波があったら、4号機の使用済み燃料プールが崩壊したら、…いつでも起こりえることだ。

何よりも私は体質的に非常に敏感で、放射線毒素の影響を2011年3月15日の時点ですぐに感じ取ったため、一体この場所にいていいのか、危機感とともに何もわからない恐れと混乱で途方に暮れてしまった。
このままどんどん放射能が大気中に増えていくとしたら西に逃げるしかないが、今診ている患者さんや家族はどうしたらいいのだろう?
私は幸い子どももいないし、自分だけなら今後放射線への抵抗力をつけていけるだろうか?
ともかく浄化のための努力をしていると、少しずつ身体に耐性がついてくる様子はわかってきた。

でも、、私は一体このままこのスペースワークを続けて良いのだろうか?
患者さんでも移住した方は複数いらっしゃり、そのほうがいいと思える方ばかりだった。
小さなお子さんがいらっしゃるあゆみ先生は早いうちに沖縄に移住されてしまい、私にも考え直したほうがいいとおっしゃった。「切り替えが大事よ」と。
確かにそうなのかもしれない。でも………←このエンドレスの点々の延長が今に至っているわけだ(汗)

とことん迷いながらも、昨年中はどうやっても「撤退します」と言えなかった。
理事長さんに「やめます」と言うつもりで、何故か「やめません」と口が言う不思議さも味わっていた。
つまり私はやっぱりこのスペースが欲しいのだ。
この共同体で暮らし、ここで仕事をし、ここで責任をとっていきたいのだ。


そうしたいならそれでいいい、でも本当にそれができるのだろうか?! 
この究極の自己不信があった。(だって人類未曾有の事態なんて、難易度高すぎるじゃないか〜)
キャッシュでさっと買える人とは訳が違う、普通のローンも本来は無理な私がここまできて、更にこんな決断を突きつけられるとは。。

そんな中、奥澤コーポラティブハウスは被災地への資材提供などの関係で若干のスケジュール遅れはあったものの、着々と進行していた。
設計はほぼ最終段階に入り、2010年の段階から水回り関係は何度もショールームに足を運んでおり、更に無垢材の床をすすめられてこちらもショールームで材質を決め、ペーパーホルダーからタオル掛けの品番まで、早いうちに既に決まっていた。あまりに早く決めすぎて廃番になってしまったものさえある。

そして2011年7月2日に地鎮祭を迎える。
地鎮祭、これだけは本当に経験して良かったと思った。
地鎮祭 紅白饅頭

一生のうち、こんなに沢山の人たち(建設会社と施工関係の人たち)に「おめでとうございます!」を言われることは滅多にないだろう(笑)。本当に気持ちよかった。
奥沢神社の神主さんを招いて行われ、本当に神様がいらして、終了と同時に上へ去っていかれた様子がわかり、感動した!
近隣の来賓挨拶あり、全世帯の挨拶スピーチもあって入居前に既に顔なじみ。直会(なおらい)も立派で、素晴らしい式だった。

うん、神様も来てくださったし、このままいこう!という気持ちにもなり7月31日の大契約会に臨んだ。
公民館の会議室にほぼ全世帯が会して重要事項説明を受け、譲渡契約書にサインし捺印。
大勢が一斉に実印を押しまくる光景は、かなり壮観だった。
そして設計のほうも気づいた点を少しずつ盛り込みながら、着々と完成形に近づきつつあった。

でも、、、ひとつだけ全く進展しないのがやはりローンだった(汗)
一つ目の銀行のフラット35審査には否決された。
二つ目は2009年に渡り合った因縁のノンバンクだった。。三度目の正直、、と願っていたのに、ここからの否決連絡には本当にショックを受けた。
(ちなみに否決連絡が来たのは、前々回に書いた弟の義父の葬儀の日だった。だから尚更、父の「俺はまだまだ死なないぞ!」というメッセージに感じて、ショック95パーセントながら、残りの5%でちょっと笑った^^;)

既に2011年の秋が深まりつつあり、収入は震災の影響で下がり気味なのと税金地獄と先行きの不透明さという、あまりの困難さに、私は鬱状態に陥ってしまった(患者さんには殆ど気づかれなかったが、震災後からその傾向だった…)。
その影響は身体にも出始めていたが、コーポラティブハウスの忘年会と上棟式には出席した。
もうすぐ私はこのコミュニティの仲間ではいられなくなるかもしれない…という鬱ゆえの悲観的な感情とともに、その時を味わっていた。
そして今年に入ってから、三つ目の銀行のフラット35審査にも否決された。。

でもただひとつだけ、最初に書いたように城南信用金庫さんだけが、昨年の時点でOKを出してくださっていた。
昨年分の申告データと合わせて最終審査を依頼したのが2012年6月21日、その結果は一ヶ月以上を経た7月26日現時点でまだ出ていない。
先月の時点で私は決心した。
今回城南信金さんが駄目なら、この件撤退しよう、と。
私が本当にお金を借りたい金融機関はここだけだ。これ以上の試行錯誤はしない。
もう部材の発注に入っているし、大工さんとの打ち合わせもある、来月には躯体見学会もある。
ここでやめるなどというのはどれだけ迷惑なことかもわかっているが、その旨をとしまち研さんにも伝えた。

どれだけ欲しいスペースのためであろうとも、宙ぶらりんな状態をこれ以上続けていくストレスの大きさが、自分を大切にする行為と感じられなくなってきたからである。

同時にシータヒーリングのテクニックやエッセンスのワーク、何よりホ・オポノポノのクリーニングを続けていくにつれ、私は創造主の奴隷ではなく共同創造をする者であり、全ての現実を自分が創りあげていること、更に完全に守られていることを実感できるようになってきた。
だから何があっても大丈夫なのである!
そして前回書いた「とりあえずアクションを起こして、あとは天に任せる」という私の今までのスタンスは一見正しく見えるが、実は天と自分が別物だという感覚から来ているとわかった。「ほら神様、どうなの?早く結論出してよ、まだなの!?」的な。。(なんということか…;;)
このブログを書いたがゆえにわかった大きな気づきだ。
あくまでも決めるのは自分。その最も深い決断を、最も深い恐れと不信から避けてきたのではなかったか?
だから足掛け4年も結論の出ない、こんな混迷のワークし続けることになったのだ。
遅すぎたかもしれないが、その気づきが「今」なのである。感謝。(つづく)



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